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ランディとノーヴィ

来週の4/22(日)に東京ノーヴイ・レパートリーシアター、第3回アートサロンを行います。

東京ノーヴイ・レパートリーシアターのチラシやホームページでご存知かと思いますが、今回は、前回のシンポジウムのパネリスト、宗教哲学者であり神道ソングライター!?トニーこと鎌田東二さん(シンポジウムで石笛吹いてくださった方です。インスピレーション溢れまくりのすごい人)と、その紹介で、作家の田口ランディさんを招き、東京ノーヴイ・レパートリーシアター演出家アニシモフを交えお話していただく予定です。

僕は、ランディさんの書くものが好きなので、いまから楽しみにしています。

以下、ついでに勝手ながらも、僕がランディさんをどう読んでいるか書いてみようと思う。

僕は、俳優としてこころが閉じてるなぁと自分で感じるようなときに、どうもランディさんの文章に触れたくなる。俳優として(つまりは人間としてだけど)のこころの調律に、その文章は効く。

なんだか安心するんですね。マトモすぎるほどマトモな感受性がそこにあることに。

ランディさんは、オカルトな分野にも興味をもって書かれているので、そう言うと変に聞こえるかもしれないけれど、そのマトモさは、でも常識的ってことじゃない、未知なるものへのベクトル(志向)をもつゆえのマトモさです。

世界は未知なのだということ。それが本当だし、だからこそ世界は美しく、僕は自由でさえあるのだ。だから大丈夫。そう思える。

ところで、このマトモだという感想は、僕がはじめて東京ノーヴイ・レパートリーシアターの「どん底で」を観たときの感想と実は同じです。

そのころ俳優を続けようか迷っていた僕は、「どん底で」を観て思ったものです。
なんてマトモなんだ、と。
やっぱりでもそれは常識的ってわけじゃなかった。そこに、こころがある、そういうマトモさだった。それは、ありそうでいて、なかなかあり得ない芝居に僕には思えた。帰り道、俳優も捨てたもんじゃないな、とつぶやいた。
そして、僕はいま東京ノーヴイ・レパートリーシアターにいる。めでたしめでたし。

それはともかく、つまりランディさんの書くものとノーヴイの作品は、僕のなかで、マトモという言葉とともに印象を同じくしています。
それらは、世界には未知あるいはこころがあると教えてくれる。

そういう作家さんとアニシモフの組み合わせは、僕にはとても興味深いわけです。だから、「かもめ」のトリゴーリンに対するニーナ(小娘)みたいにいまから心躍らせている次第なのです。

皆さん、ご予約はお早めに。
http://www.tokyo-novyi.com/htm/events.html#アートサロン

 byペンギン
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