FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

4回目のつぶやき

「僕らは
驚きによって問い、
同時に、
驚きによって
答えているんだ。」

僕らの劇団には、「驚き」の稽古(という一過程)なるもんがある。
とにかく全部に驚いてみせろ。台詞のすべて、相手役、どんな出来事にも驚け。
その心の状態、即ち良し。

はじめは、形ばかり驚いて、オーバーで、見ていて変です。ウチの劇団員が、時として変なのは、ま、稽古中だと思って(それは日常にも及ぶ)、見て見ぬフリして下さいね。
でも、正しく稽古すれば、ある心の状態がやってくるんです。

心にも技術がある。
この、俳優にとっては当然のことを、この劇団ではじめて学んだ気がする。

ではさて、「驚き」の心の状態ってナンなんでしょう?
あるときアニシモフ曰く、
「驚きとは、問いであり、答えでもあるような、そんなものだ。」
これが今回のつぶやき。
僕は、ああそうか!と妙にこの言葉に了解したのを覚えている。
いったい何処に了解したのか?

例えば「驚き」を僕なりに解説するなら次のように言うだろう。
それは、既成概念のない、あるいは判断一時停止した場所で、はじめてのモノ(経験)に出会うことである、とか。
ムナシイ…
解説してみて「驚き」は、既にここに無いのデアル。

「驚き」の状態を言うことと、「驚き」の状態にいることとは別物だ。
そしてアニシモフの言葉は、俳優にとって「驚き」とは何かという意味で後者を問題としている。

あの言葉は「だからもう答えるな」というようにも聞こえる。
安易に言葉で分析するな。
いや、あえて言葉にはするな。
驚いている心の感触を味わえ。
その感触は、無限に多様だ。
人は無限に驚くことが出来る。
「驚き」の、持続。。

アニシモフはまた、こんなことを言っています。
「私は驚きのトレーニングを二年間続けたあとで、やっと何かを掴みました。」

ナニを掴んだか知りませんが、しかし彼をみていると、「驚き」が人格の一部になっているのは確かなのでゴザイマス。
二年間?
やれやれだ。

ペンギン

スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。