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ツブヤキセブン

「まず単純に…」

四つのより(単純に・軽く・高く・陽気に)の中でも、この「より単純に」だけは、
よく稽古中にアニシモフが日本語でつぶやいている。
「単純に単純にそう…単純に…」
シーンの内容が俳優に理解されているなら、あとは単純に演じることがもとめられる。

俳優は、とかく複雑になりがちなのだ。余分なものを加えたがる。
余分な手の動き、表情、声の強弱、間、笑いなどなど。
そうしないと演じた気分になれないのだから困ったものだ。

単純に演じることは、ほとんど演じないことに似ている。
シーンの内容を理解さえして(これが大仕事なんだが)いれば、そこに居て、当然のことをやれば良いだけだからだ。
だから、俳優が口にする経験として、舞台で何をしたのかよく覚えてない、ということがあるが、それは素晴らしい演技のとき程そうであるのが事実なのである。
まぁ、よく覚えていない、というのは演技上の反省が、そのとき少ないからかも知れない。

ここで、上手い喩えではないけれど、演技をラブレターだとして
「愛しています。」
この一文だけで終わらせるのが単純な演技であるとしてみましょうか。
これだけでは不安で何かしら書き足したくなっても我慢する。
単純さは、だから潔さだ。
また、不安を持たないためには、書き足しが蛇足なのを知っている必要もあるでしょう。
単純さは、知ることに始まると言える。

でも、ここまででは何故「より単純に」の方向が演技に求められるのか、まだ分からないですね。
単純な演技の良いところは何か?

簡単に言えば、何より単純なほど判りやすくなる、ということだと思う。
しかし注意すべきは、単純な演技が単純な内容(価値)を表現する訳ではないことです。
むしろ逆だ。
観客は(僕は)、単純な演技を通してこそ俳優の豊かな内面を透し見るのである。
複雑さは、それを見えずらくする。

また、俳優の(僕の)方から考えれば、単純さは彼に真実の感覚を与えてくれるといえる。
真実はとは多様な解釈(価値)の可能なものだが、彼の役を理解するのを助けてくれる。

こうした観客/俳優の経験に照らして、
演技精神に「より単純に」の方向性が承認される。

と、したい。

では、演技精神は、さらにドコヘと向かうべきか?
それは次週と致します。

ペンギン

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