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つぶやき八の巻

「力(りき)まず、
 さらさらっと…」

今週は、「より軽く」の方向性を考えたい。
思い返すと、今期の稽古は「より軽く」の方向性が大きな指針だったのではないかと思う。
今期では、私達の舞台の質に「軽さ」がはじめて前面に出てきた。
上演時間も短くなった。
それを見て、というか、そうさせてアニシモフは言った。
「飛ぶように演じなければなりません。風のように軽く。
こうして観客は、俳優ではなく作品を感じるようになるのです。」
その辺を足掛かりに、あらためて僕の中では、この方向性がどう理解されているのか明らかにしたいのだ。

まず、それは軽妙さ・軽快さの方向であって軽薄さを意味しないだろう。
では軽妙軽快な演技とは何か?
僕がそれをよく知っているとは言いがたいが、
さしあたって、二つの注意点が挙げられる。
ひとつは緊張しないこと。
緊張は俳優の最大の敵である。
それは彼の心身の反応を鈍くて重いものにするのだ。
スタニスラフスキーは、どんな俳優にも「95%の緊張を切捨てなさい」と言ったという。

次に、見せつけないこと。
もったいぶって、意味ありげに、何かをやろうなんてしないことだ。
でも俳優には常に、自分を印象づけたいという誘惑があるんですね。
先週のラブレターの喩えでいえば、
「愛しています。」
これを血文字で書くようなもの(なのか?)です。送られる相手には、ウザッたくて重いだけだったりする。

さて、二つの注意点を挙げましたが、俳優的緊張にしろ見せつけの演技にしろ、ここにはすでにエゴイズムの問題が顔を覗かせているようです。
俳優を「より重く」してしまうのは、エゴイズムだと言えるのかも知れない。

この問題は、しかし表現者なら誰でも抱える悩みだとも言えます。
もちろん、何をくだらない、つまらぬ悩みだといえばその通りです。
エゴイストをやめれば良いだけなのだから。
しかし人間は(僕は、ことに俳優は?)、なかなかにエゴイストなのだ。
それが実情ではないか。

又、この問題がややこしく感じられるのは、(僕だけかもしれないが)表現の起点としてのエゴが、結局は表現にとって邪魔になってくる点であり、
さらには、そこでエゴを捨てるといっても、それが放棄ではなく、いわば、その乗り超えでなければならないところにある。
それは如何にして可能か?
などと、これ以上の深追いは止めておきましょう。
僕には上手く説明出来そうになく、
愛がどうのと口走ってしまいそうだから。。。

それより、実践です。
ウダウダ考え悩んでも始まらない。
アニシモフ曰く
「舞台では、相手役のことだけ考えなさい」
僕は、そう努めてみる。
少なくとも、いっとき、自分のことは忘れてみる。
すると、まあ不思議。
緊張はほぐれ、見せつけの演技も不要になる。
そのとき、僕は「より軽く」の方向に歩きだすだろう。

以上が、「より軽く」についての僕の私見です。
言うまでもなく、実践は書くようには容易でない。
また、ここでエゴイズムの問題に行当たる(僕には収穫だったけど)のは、どうかと思わなくもない。
まだよく分からないのだ。
別の捉え方も必要だと思う。

最後に、軽薄な演技について触れておこう。
思うに、これはエゴイズムとはまた違った事情から来ています。しかし軽い演技を意識するとき起こりやすい。
軽薄な演技とは何か?
本来、「より軽く」とは戯曲の「重い」内容に「軽い」表現を与えることですが、
軽薄さは、戯曲の「重い」内容を引き下げて「軽い」内容(無内容)にして演じることだと言えます。
僕の考えでは、これはむしろ軽薄さが「より高く」の問題圏に属すことを示しています。

が、それは次週に致します。

ペンギン


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