FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

つぶやき16発目

ある時、東京ノーウ゛イ・レパートリーシアター芸術監督アニシモフは、こんな意味のことを言っていた。

どんなに精巧で愛らしい人形の赤ちゃんだろうと、一番不細工なほんとうの赤ちゃんの魅力に負けるのは、ほんとうの赤ちゃんが生きているからです。
生きているものだけが、あるエネルギーを放射することが出来るのです、と。

僕たちもまた、舞台では生きていたいと思う。
もちろん、これは実に聞こえのいい言葉でどんな劇団でも言われることでしょうが、現実にそれを目にするのは稀なことです。
多くの舞台では、そこに俳優(人形)がいるだけで、生きた人間はいないのである。
俳優の演技は、あまりに、あまりに俳優的であり過ぎる。
俳優は「演技」が大好きだ。
観客もまた、そうした「演技」が大好きだとしたら、それは舞台に生きた人間を期待出来ないからだと思うのです。
演技など終ればいいのだ。
“演技は死んだ!”
気の狂った男が叫ぶ。
“演技は死んだ!”
夜明け。預言。。。

俳優は、再び人間に戻らなければならない。
俳優的行動から人間的行動へというのが、今期によく言われた指示である。
曰く、
「我々は、もう充分に準備してきました。もはや思い切って、舞台で人間に徹して下さい。」

それが僕たちの流儀だ。
しかし、人間に徹するとは何か?
陳腐な言い方をさせてもらえば、いかに心を裸にするか(俳優的衣裳を脱ぐか)、ということだと思います。
まぁ、いろんな理解はあるでしょうが、まず僕はそう受止めました。
裸になるとは、演技の既成概念を捨てることだ。
そして、あくまで自分の名において演じること。
これには、どうにでもなれ!っていうちょっとパンクな気概が必要だったりする(僕はね)。
でも、だからと言って暴力的な、或いは露出狂的なやり方にはならないだろう。
僕らは、もう充分に準備してしまった、のである。

いわば僕らは、台詞という紗幕の裏側でスッポンポンになるのである。
紗幕とは、裏側に光があるとスケスケになる幕のことです。
そうして僕らは、そこで抱き合う(交流する)。
イメージはそんな感じ。
僕らは裸になり子どもとなり驚きイタズラっぽく優しくて大胆で自由にやるだろう。
ここに現われる演技は、どうにも隠しようのないものだ。
アニシモフ曰く、
「120%正直にやる必要があります」
そう、よい表現はいつだって正直なんだ。
正直で開けっぴろげで隠しようがないから、それは不細工で弱さがあり滑稽かも?知れないが、少なくとも真実の相を示してくれよう。
僕らは、人間の真実の生活を生きたいと願っている。
だから、やるしかないだろう。
“たとえ不細工だろうとも……”ね。
(←えーと、これが先週のつぶやきデシタ)

ペンギン
スポンサーサイト

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 心と身体

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。