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つぶやき17弾目

「今週も、下北沢の小さな劇場で、
『あたらしい』受容の試みは
つづいている」

スタニスラフスキー・システムは、近代に登場した普遍性を持つ演技哲学です。
それは他の分野の優れた哲学、例えばニーチェやハイデカーのそれと同じく、充分に理解されているかどうかは別にして、世界に決定的な影響を与えてきました。
アメリカでは、L・ストラスバーグのアクターズ・スタジオによって実践され、ジェームス・ディーンからアル・パチーノまで多くの名優を輩出したことはよく知られています。
ただし、このスタジオの方法論は“メソード演技”と呼ばれ、実際にはスタニスラフスキー・システムの一部分をアメリカナイズしたもので、僕の感じでは人間観がかなり違ったものになっていますが。
また、ヨーロッパの俳優教育でも、スタニスラフスキー・システムは基本であり、いまさら誰も口にしないので、その名前も知らないままにスタニスラフスキーに触れてしまうってくらいの溶け込みようだとか。

で、日本では?、である。
この地では、「いまこそスタニスラフスキー・システムを!」みたいなことが時々言われたりしますが、要するに根付いて来なかった。
ひどい誤解かごく部分的な理解しかされていないのが現状でしょう。
そもそも、メソード演技(日本でも割と人気がある)と同じものだと目されるフシがあるし、一般的な誤解、あるいは批判としては、感情主義的だという意見がある。
その程度の認知度なのである。

しかし、なぜ日本では根付かなかったのか?
これについては、ある年配の劇団OBにこんな話を聞きました。

このロシアでうまれた芸術論は、紹介されるに際して共産主義イデオロギーと結び付いて理解された。
だから本質を見ることなく、世間的には敬遠されてしまったんだ、と。
さもありなん。
悲しいことじゃないですか!

僕ははじめに、スタニスラフスキー・システムは普遍性を持つ演技哲学だと言いました。
その意味は、たまたまロシアでうまれたけれど、およそ(近代において)演じることの考えを深めていけば、誰が何処で考えようが辿り着くような考えだということです。
だからこそ、汎用性があり、ワールドスタンダードであり得るし、もう後戻りも出来ないものなのです。
やっぱり「いまこそスタニスラフスキー・システムを!」なんですっ!

演劇評論家の村井健さんは、次のように話して下さいました。
歌舞伎以後、日本にはスタンダードの演技論は存在しない。
それぞれの劇団が独自な演技論をもつだけの状況である。
これは演劇界にとって不幸な事態だ。
スタニスラフスキー・システムの見直しが必要ではないか、と。

メソード演技と同様で、スタニスラフスキー・システムにも流派(解釈)が様々あるし、こうした俳優教育は同じ方法論でもトレーナー(教師)によって全く違ってしまうものですが、僕等の活動は、アニシモフという教師を通じたスタニスラフスキー・システムの日本への「あたらしい」受容の試みとしてユニークだろうと思います。

今週も、下北沢の小さな劇場で、その試みはつづいています。

ペンギン
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 心と身体

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