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つぶやき20粒やで

「人間の巨大さを示せ…」

アニ語録である。
以前に何度か聞いた言葉ですが、ここ最近の『ハムレット』の稽古でも言われた事です。
『ハムレット』の稽古では、人間の巨大さは、人間の「感情」に結び付けられていました。
以下、その「感情」論をまとめてみます。

現代は「感情」の失われた時代である。
「感情」で生きることが、なにか贅沢なことになってしまって、代わりに我々は、知によって生きようとしている。

戯曲というものは、本来、人間/俳優の「感情」の為に書かれたものだが、ここでも、例えば『ハムレット』のような作品は、演出家のアイデア(知)の為にもっぱら上演されている。
現代人には、この「感情」が手に余るかのようである。

現代の問題は何か?
感情と知の分離である。
しかし、元々はそれらは同一のものなのだ。
スタニスラフスキーに言わせれば、「感情」とは一つの考え(知)である。
君達もよく知っているように、考えのない感情は良くないもの(僕らはそれをエモーションの演技として否定します。また、この感情の極端なカタチが所謂“キレる”だろうか、違うかな?)だし、感情のない考えは乾いていて冷たいものだ。
我々は、いわば「頭を心臓に落とす」(ローマの古い格言らしい)ことで、再び「感情」を取り戻さなければならない。
なぜなら、この「感情」にはエネルギー(力)があって、特に舞台でのそれは人間の巨大さを示してくれるからである。

さらに、「感情」の欠如にはイマジネーションの問題が横たわり云々と続くのですが、ちょっとマトメきれないのでこの辺で終わります。
まあ、「感情」論については大筋こんな感じでした。
しかし、、前にも書きましたが『ハムレット』の稽古を受けていると気が狂いそうになる。
この作品の持つ「感情」(考え)は過酷だ。
ホントに舞台化するのだろうか。。

ペンギン
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コメント

感情=感性?

 ペンギンレポート、いつも楽しく頷きながらも、時に首かしげつつ読ませていただいています。稽古場でのアニ師の姿や言葉の一端が垣間見えるような、そんな思いで。
 「感情」論も、とても面白く読みましたが、これ、「贅沢」と現代思われているのは、「感性」をそのまま表現する芸術に携わる事?キレるのは、「衝動」(リビドー)の抑制が不充分だから?ハムレットの「過酷」なのは、「表現」を抑制させるから??など、一言で「感情」という言葉に置き換えられてしまえない様々な、微妙に違うニュアンス、を感じました。アニ師の尊ぶ「自己犠牲」と、アンディさんの恐れるそれとは同じものを指しているのは、もしかして翻訳のズレでは?と感じた時のような・・・そんな事まで思い深まる、ペンギンレポート、これから益々期待してます。けど、彼の師は遠い空の果て?妄言多謝。
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