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つぶやき18打目

「きみの真実に対する 飢えと愛…」

僕等が舞台において求める真実とは何か?
真実とは、今そこに有るか無いか、どちらかのものである。
勘違いしないでほしいのだが、真実という「モノ」は存在しない。
それは固定した形式を持たないので、何処かには必ずそれがある、というものではない。
では、真実とは出来事、むしろ「コト」の領域にあると言えるだろうか?
こちらは半ば正しい。
半ば、というのは、それが客観的な出来事ではなく、あくまで主観的な出来事だろうからだ。
例えば、戯曲に「ある親が我が子を愛する」という出来事が描かれているとして、これは客観的にはある真理を(または単に事実を)語るコトかも知れないが真実とは関係がなく、ここで問題なのは、その親(俳優)その人のなかに疑い得ない愛情があるかどうかというコトなのです。
僕等の求める真実とは、ある出来事のなかで主観が疑い得ない確信を持つというコトなのだと言える。
アニシモフ曰く、
「真実は俳優のなかにしかない」
だが、いずれにせよ、真実はどんな形式にも収まってくれないので、そのつど生み出される必要があります。

ところで、舞台に立っていて何より面白いのは、この真実の確信に捕らわれる(いや掴むと言うべきだな)時である。
ウソなのにホント。
不思議な感覚である。
そんな時には、自然な(余分な付け足しではなく)即興が生まれたりもして、最高だ。
もちろん正直に言えば、これはスゴく難しいので、いつもその感覚でいられるわけじゃない。
三割越えれば正に高打率かな、今のところは。
でも、この感覚があるから辞められないんです、俳優は。

さてしかし、そうした私(主観)の真実に何の意味があるものかと言われるかも知れません。
だからこの際(めんどうなので)断言しますが、どんな真実も主観の内にしか有り得ないのです。
ということは、その真実の内容までは客体にとって正確には分からないことを意味します。
客体には、主体が真実を持つだろう様子が見えるだけで、もちろん、その様子を通して客体は、主体の真実について色々な確信を抱いたりするでしょうが、しかしより大切なのは、実はその様子自体が与えてくれるある感じだと言えるでしょう。
真実のみが与えてくれるある感じである。
何だか曖昧なことを述べているようですが、例えばアニシモフが「私は真実のもつ率直さ(の感じ)にビックリする」というように、それは真実の性格を示すある感じです。
まあ、見れば分かる、と言ったら乱暴ですが、少なくともそれを目の当たりにすることには芸術的な意味があると思えるのです。

以上。
つまらない話を長々した気がするけども。

ペンギン
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 心と身体

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