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銀河日誌/満喫中

「銀河鉄道の夜」稽古第5、6週目。

今は、昼の週3日が銀河の稽古にあてられ、残り3日が既存作品の稽古です。
また、日曜日はアートサロンやら温泉旅行なんてのをやりつつ、夜はワークショップやら会議をこなし、当然、飲み会があり、隙をみてバイトする、、という典型的な演劇ライフが展開中です。

僕、嘆いてなんていませんよ。
満喫しているんです!
たぶん。。

さて、銀河稽古。
ようやく、全体の素描を終え、大体のカタチが出来上がりました。
以後、俳優の演技(色付け?)も高いレベルで要求されることが予想されます。

この二週間の稽古内容は、
様々のヴァリエーションを試みて、よりシンプルなものを採用していくというものだった。
そこでは、本当に美しいシーンが形象化されながら、結局採用されなかった例も少なくない。

演出家が苦心していたのは、
この「やさしさだけでつくられている物語」の持つ無邪気さとデリケートさを、どう損わずにやるか、それと、夢の独自の感覚をどう伝え得るか、という事にあったと思う。
この辺りには、まだ気掛かりな点が残っているようですが。

しかし、ここまで稽古してきましたが、僕はやっと作品の理解が出来るようになってきました。
僕にははじめ難解というか、意味不明な、ナンセンスな箇所が随分あったんですが、

アニシモフが言うように
「これは単なる思い付きで書かれている作品ではない。賢治のもつ考えの論理で一貫しているんです」
ということが、稽古を通じて分かってきたんですね。

ま、さておき、
けーいこーはぁつづくーよぉ♪
どーこまーでーもぉ♪
また来週。

ペンギン
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テキーラ奇譚

不思議な話である。
「三人姉妹」の稽古、の前日。
この日は、パーティーだった。
劇団員同士で結婚したものがあり、世田谷カトリック教会で式をあげたあと、劇場で
二次会だったのだ。

いつもより豪勢な料理とあたたかい話。
色々てんこもりに会は進み、夜は更け、
そして始まったテキーラパーティー、、

テキーラダンサーズは踊る。

「テキーラ入りまぁす!」
「炭酸入りまぁす!」
「レモン入りまぁす!」

歌う。
チャッチャチャラッチャチャッチャチャッチャッチャッ×3、
タラタタタン!×2

ショットグラスをテーブルに叩き付け、泡立つ酒を飲み干す。

うーっ!テキーラっ!!

ダンサーズ踊る。
以後繰り返し。。

ショットグラスが次々回され、夜はさらに更けていったのであった。
「、、クレイジーパーティー」
とは、アニシモフの言。

翌日。

「三人姉妹」稽古。
お休みにしましょーよー、という声は無視され、
稽古だ。
みんな二日酔い。
演出家アニシモフ曰く
「あたま痛ぇ、、
しかし、こういう機会は利用すべきなんです!
困難こそチャンスだ!」
(何故そうもポジティブなんだぁ。。)

ところがですね。
なかなか、どうして、
良い稽古になったんですよ。

いつもより繊細な交流が生まれていた(二日酔いだから)。
無駄な演技がなかった(二日酔いだから)。
たぶん必死だった(二日酔いだから)。

アニシモフ曰く
「ほらね。
いつも今日みたいな演技をして下さいっ!
必要なら、毎日テキーラパーティーです。」

不思議な話があったものだ。

ペンギン

ワッフル演ずるは‥

「ハムレット」準備稽古4回目。

今回の本読みは、レパートリーに既に登場しているキャラクターを使ってやってみる、
という遊びでした。
例えば、ワッフル(「ワーニャ伯父さん」)演じるポローニアスなんて最高でした。
笑えます。

そして、こうした遊びが、シェイクスピア劇の演技に対する固定観念を払い、作品を開いていくというのが分かりました。

僕等自身の中に、固定観念があるんですね。
シェイクスピアの描いたのは、舞台的人物であるみたいな。。

でも、この固定観念は、どこから生まれてくるんでしょう。
多分、シェイクスピアは天才だという思いとビビリ、そして神格化といった事情からきています。

アニシモフ曰く、
「もちろん、シェイクスピアは天才ですよ。
でも、私は彼と友人として接します。」

そうなんだよな。
相手は人間。
なのに変に崇めたりするのは、
ちょっとズルイ。
いや、かなりズルイ。
それに確かに、そういう時は、
相手が見えているようでいて見失っていたりするものな。

シェイクスピアは人間。
シェイクスピアの描いたのも、人間そのもの。

このことがホントに見えて、感じられるには、もう少し時間がかかりそうだ。

ペンギン

銀河日誌/不条理?

「銀河鉄道の夜」稽古第4週目。
荒削りながら、ジョバンニが目を覚ます前までのシーンを形にしました。

ですが、シーンのカット&編集が必要のようです。
子供向け作品なので、上演時間を一時間ちょっとにするためです。

試みで、カット&編集バージョンの演出もやってみました。が、すると、、

「え?ここカット?
あんだけ必要だっつーから用意した小道具もボツ?
んな不条理なぁ!」

みたいな声もチラホラ、、

でも、演出家なんて不条理な生き物ですからね。
灰皿飛ばないだけ、まだまだアニさんは紳士的ですよ。
まあまあまあ。

アニシモフのこんな言葉が面白かった。
「文学を戯曲にするのが難しいのは、
文学で良いところが、舞台ではツマラナイものになり、
舞台で良いところが、文学ではツマラナイものだったりするからです。
ふたつは違う法則で成り立っているんです。」
(わかってくれよ)みたいな。

さあ、次週を待て!

ペンギン

気がふれそうになった

「ハムレット」準備稽古第3回目。

まずは話し合い。
現代の観客にとって、この作品は現実的ですか?
つまり、上演される必要がありますか?
それは単に娯楽のために?
あなたは、この作品の何が好きなのですか?
とっても有名だから?
というようなこと。

それは置いといて、
本読みは、芝居の場の前半あたりをやりました。

それも置いといて、
今日は、演出家アニシモフの作品の読み(理解)の仕方が相変わらず凄まじいので、
その辺を書こう。

とても人間的なんですね。
アニさんの手法は、
無邪気さによって作品の深いところを引き出す(これは俳優の演技にも要求されます)、
といったものだが、
それが作品を形式的なものから人間的なものにする。
マジックだ。

ところで、この手法は、
本来誰にでも可能なものです。
ですが、誰もやろうとすらしない。
常識が、あまりに邪魔をするからだ。

例えば、この手法でいくと、
「この作品で何か悪いことをするのはハムレットただ一人で、あとは普通の善良な人々です」
といった具合にもなる。
僕はいま上手く説明出来ないけれど、そうなる。

でも、そしてそれは作品をより偉大にし、より大きなカタルシスを用意することになるのです。

僕は今日、一瞬、気がふれそうになった。
想像してしまったのだ。
アニシモフのように理解し、ハムレットを本当に感じ生きたら、気がふれるだろうな。
けれども、ここで俳優をヒステリーでなくカタルシスに留めるのも、また無邪気さだ
ろうと思った。

ペンギン

数年の上演

「三人姉妹」の稽古をしました。

こんなダメ出しがあった。
「新作においては、より多く演出家の芝居です。
そのシーンの形象をどうするかの責任は演出家にあるからです。
しかし一度、芝居が出来上がったら、演出家的なものは片付けていって、俳優の芝居になっていかなければならない。
その為に、我々は数年の上演を続けるのですから。
どうぞ好きに演じて下さい。」

ダメ出し、というのは、あんまり公表するものぢゃない。
ちょっと恥ずかしいからだ。
(一応述べると、本当は「ダメ出し」という言葉を僕等は使いません。語感が良くないので。
サジェッション/指示とか言ってるかな)

でも書いたのは、
これがレパートリー公演の意味だから、ですな。

ペンギン

銀河日誌/アニ研

「銀河鉄道の夜」稽古第3週目、鳥捕りのシーンまでの素描を終えました。

さて、今日書きたいのは、ちょっとしたアニシモフ研究。
略してアニ研。
(注、アニメ研究ではない)

アニシモフというは、独特な人である。
僕が面食らうのは、彼がファンタジーを現実として語るような時だ。

例えばだけど、プラトンのいわゆるイデアというのは、彼の中では完全に現実としてリアルだ。
けれど、僕には象徴としてリアルであるに過ぎない。
そういうところに彼我の「距離」を感じる。
けれど同時にまた、彼の言いたいところは「端的に」伝わってくる。。

「距離感」と「端的さ」
このふたつを整理してみよう。

まず、「端的さ」。
たぶん、ある同じ物事でも、
現実として語られるのと象徴として語られるのでは、伝わり方が違ってくる。
前者がより端的なのだ。
フィルターが一枚少ないというか。

でもこう書くと、これって俳優の仕事そのものだな。
俳優は、フィクションを現実として語り、端的に理解させるのだから。
アニシモフによれば、
「舞台上にはニュース(象徴)ではなく、事故(現実)があるべきです」

次に、「距離感」。
要するに、持っている現実の領域が違うということだけど、
ぶっちゃけ、その領域の(現実)認識の仕方を、僕が気に入らないという意味も含まれている。

アニシモフならこう言うだろう。
「意識を変えてみる必要があるんじゃないかな。
もちろん、それが難しいのは知ってます、誰にとっても」

僕は思うんですが、
意識は努力では変わらない。
切実な願いのようなものだけが、それを変えてゆく。
では、アニシモフの意識を変えた願いとは何だったか?

まあ、彼の話を聞く僕は、「端的に」それを知っていたりするけれど。

以上、アニ研?
なんか上手く書けなかった。
銀河あんまり関係ないし。
まあいいか。

ペンギン

ハムレット状態

「ハムレット」稽古第二回目。
面白く感じた事を二三記す。

「ハムレットの置かれた状態というのは、
死に出会い、何も分からなくなり、子供になり、人生を一から始めるというようなものだ。
そして、それは大なり小なり誰もが経験する。」

ふーん。

皆さんはどうっすか?
そういう経験ありますか?
僕には、、小なり、くらいならある気がする。
大きな喪失(という事態)に直面して右往左往すること。。

まあ、いつか、大なり、のそれを経験するとしても、
アニシモフも「ダイジョウブダイジョウブ(ナニガ大丈夫?)」と言ってますから、
皆さん、そして僕よ、
心して受け容れよう!
うーん人生。

次に、
「『ハムレット』を理性で読むと、私にはゼンゼン理解できない。
しかし、心で読めば、細部まですべて分かる。」

と来たもんだ。
ふーん。

でもここには、最近の僕自身の課題が潜んでる。
またこれは、今期のレパートリーシアターの大きな課題ともつながっていると思う。

その点は、後日書く。

ペンギン

銀河日誌/着々と

「銀河鉄道の夜」稽古第二週目を終えました。
だいたい始めから3分の1くらいまでの下絵を描いたところです。
銀河鉄道にも乗り込みましたっ!
着々と、作品はカタチになりつつありまっす!

いや、しかしですね、大変ですよ、本当に。
もとが戯曲でないだけに、いろいろ問題や障害が出てくる出てくる出てくる出てくる

それを演出家が、膨大なアイデアで対応しスゴイです。
スタッフ(兼俳優ですが)も必要な物、効果に即対応しケナゲです。

ま、それもこれも、僕らが正確な賢治に近付くためです。ガンバロウ。

ペンギン
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