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「存在の響き」

メルマガ寄稿文の転載です。


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★ペンギン瓦版★
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「存在の響き」について。

レパートリー公演を観つづけていると、ぶっちゃけ、ストーリーなんてどーでもよくなりませんか?

僕の場合、レパートリー公演に限らず、他の芝居でも映画でも、ストーリーにさほど興味を惹かれません。

じぁ何を観てるのかというと、俳優の「存在仕方」。
その人間の状態とか、世界との関係の結び方ですね。

存在は、当然、何かしらの文脈(ストーリー)の内に有るものですが、それは必要最小限だけ分かればいいや、という感じです。

ちょっとオブジェを観賞するのに似ています。

そもそも、あらゆるモノは、雰囲気として何事かを語っているのですが、芸術ジャンルとしてのオブジェ作品とは、質の高い「考え」が込められたモノのことを指します。
この「考え」がモノの雰囲気を形作り、バイブレーションとなって観る者の心を揺らすのですね。

そして俳優とは、いわば「生きたオブジェ」です。

先日の稽古のときに、面白い経験をしました。
ある俳優がモノローグを語り出しました。とても小さな声でした。そのうちに、言葉とは違う「声」が聞こえて来ました。いや、聞こえるような気がしたのです。
僕はそれを「存在の響き」と名付けました。
つかみどころのない「声」でしたが、この「存在の響き」は、彼の何を信じているかを告げ知らせている、そう僕に思われました。

しかし、これは稀なこと。なかなか難しい。俳優は、最良の場合のみ「生きたオブジェ」に値するのです。

たぶん、その為には、俳優は恥ずかしげもなく素直に、企まず、開かれて「存在」しなければならないでしょう。

ペンギンは、「存在」を響かせたいと願う今日この頃です。


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銀河の彼方へ

僕はいま、感動している。
新作「銀河鉄道の夜」が連続5回公演を終えて、
ひとつの作品として産まれたことを感じている。
いまや、世界にこの芝居が存在している。
それがとても美しいものであることを誇らしく思う。
そこに参加出来て幸せである。

こうして僕等は、最初の停車場にたどり着いた。
もちろんそれは、通過点だ。
この旅に終わりはない。

僕は祝福しよう。
全ての誕生は感動である。
祝福しよう。
新しい旅に。
そして願わくば、この作品があなたの「すきとほったたべもの」となりますように。

ペンギン

銀河日誌/満喫中

「銀河鉄道の夜」稽古第5、6週目。

今は、昼の週3日が銀河の稽古にあてられ、残り3日が既存作品の稽古です。
また、日曜日はアートサロンやら温泉旅行なんてのをやりつつ、夜はワークショップやら会議をこなし、当然、飲み会があり、隙をみてバイトする、、という典型的な演劇ライフが展開中です。

僕、嘆いてなんていませんよ。
満喫しているんです!
たぶん。。

さて、銀河稽古。
ようやく、全体の素描を終え、大体のカタチが出来上がりました。
以後、俳優の演技(色付け?)も高いレベルで要求されることが予想されます。

この二週間の稽古内容は、
様々のヴァリエーションを試みて、よりシンプルなものを採用していくというものだった。
そこでは、本当に美しいシーンが形象化されながら、結局採用されなかった例も少なくない。

演出家が苦心していたのは、
この「やさしさだけでつくられている物語」の持つ無邪気さとデリケートさを、どう損わずにやるか、それと、夢の独自の感覚をどう伝え得るか、という事にあったと思う。
この辺りには、まだ気掛かりな点が残っているようですが。

しかし、ここまで稽古してきましたが、僕はやっと作品の理解が出来るようになってきました。
僕にははじめ難解というか、意味不明な、ナンセンスな箇所が随分あったんですが、

アニシモフが言うように
「これは単なる思い付きで書かれている作品ではない。賢治のもつ考えの論理で一貫しているんです」
ということが、稽古を通じて分かってきたんですね。

ま、さておき、
けーいこーはぁつづくーよぉ♪
どーこまーでーもぉ♪
また来週。

ペンギン

テキーラ奇譚

不思議な話である。
「三人姉妹」の稽古、の前日。
この日は、パーティーだった。
劇団員同士で結婚したものがあり、世田谷カトリック教会で式をあげたあと、劇場で
二次会だったのだ。

いつもより豪勢な料理とあたたかい話。
色々てんこもりに会は進み、夜は更け、
そして始まったテキーラパーティー、、

テキーラダンサーズは踊る。

「テキーラ入りまぁす!」
「炭酸入りまぁす!」
「レモン入りまぁす!」

歌う。
チャッチャチャラッチャチャッチャチャッチャッチャッ×3、
タラタタタン!×2

ショットグラスをテーブルに叩き付け、泡立つ酒を飲み干す。

うーっ!テキーラっ!!

ダンサーズ踊る。
以後繰り返し。。

ショットグラスが次々回され、夜はさらに更けていったのであった。
「、、クレイジーパーティー」
とは、アニシモフの言。

翌日。

「三人姉妹」稽古。
お休みにしましょーよー、という声は無視され、
稽古だ。
みんな二日酔い。
演出家アニシモフ曰く
「あたま痛ぇ、、
しかし、こういう機会は利用すべきなんです!
困難こそチャンスだ!」
(何故そうもポジティブなんだぁ。。)

ところがですね。
なかなか、どうして、
良い稽古になったんですよ。

いつもより繊細な交流が生まれていた(二日酔いだから)。
無駄な演技がなかった(二日酔いだから)。
たぶん必死だった(二日酔いだから)。

アニシモフ曰く
「ほらね。
いつも今日みたいな演技をして下さいっ!
必要なら、毎日テキーラパーティーです。」

不思議な話があったものだ。

ペンギン

ワッフル演ずるは‥

「ハムレット」準備稽古4回目。

今回の本読みは、レパートリーに既に登場しているキャラクターを使ってやってみる、
という遊びでした。
例えば、ワッフル(「ワーニャ伯父さん」)演じるポローニアスなんて最高でした。
笑えます。

そして、こうした遊びが、シェイクスピア劇の演技に対する固定観念を払い、作品を開いていくというのが分かりました。

僕等自身の中に、固定観念があるんですね。
シェイクスピアの描いたのは、舞台的人物であるみたいな。。

でも、この固定観念は、どこから生まれてくるんでしょう。
多分、シェイクスピアは天才だという思いとビビリ、そして神格化といった事情からきています。

アニシモフ曰く、
「もちろん、シェイクスピアは天才ですよ。
でも、私は彼と友人として接します。」

そうなんだよな。
相手は人間。
なのに変に崇めたりするのは、
ちょっとズルイ。
いや、かなりズルイ。
それに確かに、そういう時は、
相手が見えているようでいて見失っていたりするものな。

シェイクスピアは人間。
シェイクスピアの描いたのも、人間そのもの。

このことがホントに見えて、感じられるには、もう少し時間がかかりそうだ。

ペンギン
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